
酒呑童子(しゅてんどうじ)は、丹波国と丹後国の境にある大江山、または山城国と丹波国の境にある大枝(老の坂)(共に京都府内)に住んでいたと伝わる鬼の頭領、あるいは盗賊の頭目です。酒が好きだったことから、手下たちからこの名で呼ばれていました。文献によっては、酒顛童子、酒天童子、朱点童子などとも記されています。
酒呑童子の出生には諸説ありますが、一説には八岐大蛇の子孫とされ、出雲からスサノオに敗れて丹波に落ち伸びた大蛇が、その地の豪族の娘と契りを交わして生まれたという説があります。
酒呑童子は大江山に洞窟の御殿を構え、茨木童子などの数多くの鬼共を部下にしていました。彼らは、夜な夜な山を下りて人々を襲い、財宝を奪い、女性をさらっていったといわれています。
酒呑童子の横暴は、ついに朝廷の耳にも入りました。朝廷は源頼光(みなもとのよりみつ)に酒呑童子の退治を命じました。頼光は、渡辺綱(わたなべのつな)、碓井貞光(うすいさだみつ)、卜部季武(うらべすえたけ)、坂田公時(きんとき)の四天王を率いて大江山へと向かったのでした。
酒呑童子と頼光の軍勢は、大江山で激しい戦いを繰り広げました。頼光の四天王は、酒呑童子の配下の鬼たちを次々と倒していきました。そして、ついに頼光は酒呑童子の首を討ち取ることに成功しました。
酒呑童子の首は、その後、京の都に送られ、鬼門除けとして祀られました。酒呑童子の首は、現在でも京都府京都市の伏見稲荷大社に祀られています。
酒呑童子は、日本三大妖怪のひとつに数えられる、日本を代表する妖怪です。その強大な力と、人々を恐怖に陥れた残忍さは、今もなお人々の心を魅了し続けています。
酒呑童子の退治譚は、さまざまな作品に登場しています。謡曲や能、歌舞伎、落語、小説、映画、漫画など、さまざまなジャンルの作品で、酒呑童子と頼光の戦いが描かれています。
酒呑童子は、日本の文化に深く根付いた存在であり、これからも多くの人々に語り継がれていくことでしょう。

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