
玄奘三蔵(げんじょうさんぞう、602年 – 664年)は、中国の唐代に活躍した僧侶です。俗名は陳褘(ちんかい)、法名は玄奘(げんじょう)、諡号は大遍覚(だいへんかく)です。
玄奘三蔵は、当時中国に未だ伝来していなかった経典を求めて、27歳のときインドへ求法の旅にでました。インドで修学の末、経論や舎利、仏像を携えて17年に及ぶ旅を終え帰国されました。
帰国後は、持ち帰った経典や論疏657部の中から75部1335巻を翻訳されました。最もよく知られる『般若心経』も玄奘三蔵の翻訳によるものです。
玄奘三蔵の求法の旅の目的は「唯識」の教えを究めることでした。その教えは玄奘三蔵の弟子である慈恩大師により、「法相宗」として大成し、飛鳥時代の道昭僧都などにより日本に伝来しました。
玄奘三蔵は、仏教の伝播と発展に多大な貢献を果たした人物として、中国はもちろん、日本でも尊敬されています。
玄奘三蔵の求法の旅
玄奘三蔵は、629年(貞観3年)に長安を出発し、中央アジア、インド、ネパールを経て、645年(貞観19年)に長安に帰国しました。その間、17年にわたる旅で多くの困難を乗り越え、多くの経典や論疏を収集しました。
玄奘三蔵の旅のルートは、以下の通りです。
- 629年(貞観3年):長安を出発
- 630年(貞観4年):敦煌、亀茲(きち)など中央アジアを経由
- 633年(貞観7年):インドのカピラヴァストゥに到着
- 633年 – 643年(貞観7年 – 17年):インド各地で学問を修める
- 643年(貞観17年):ネパールを経由して帰国の途へ
- 645年(貞観19年):長安に帰国
玄奘三蔵の翻訳事業
玄奘三蔵は、帰国後、持ち帰った経典や論疏を翻訳しました。その数は657部1335巻にも及び、中国の仏教文化の発展に大きな影響を与えました。
玄奘三蔵の翻訳は、当時中国に未だ伝来していなかった経典を広めるだけでなく、仏教の思想や教えをより正確に伝えることにも貢献しました。
玄奘三蔵の翻訳した経典の代表的なものに、以下のようなものがあります。
- 『金剛般若経』
- 『大乗起信論』
- 『瑜伽師地論』
- 『法華経』
- 『涅槃経』
玄奘三蔵の業績
玄奘三蔵は、仏教の伝播と発展に多大な貢献を果たした人物として、中国はもちろん、日本でも尊敬されています。
玄奘三蔵の業績は、以下のようなものが挙げられます。
- インドから多くの経典と論疏を持ち帰り、中国に伝えた。
- 持ち帰った経典を翻訳し、仏教の思想や教えを広めた。
- 唯識思想を中国に伝え、法相宗の基礎を築いた。
玄奘三蔵の求法の旅は、多くの困難を乗り越えた偉業であり、その精神は現代にも生き続けています。

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